山辺 絵理

1981年 東京生まれ。3歳よりピアノを始める。

13歳 アメリカにて「第11回ジーナバックアワー国際ピアノコンクール、エキシビジョンコンサート」に出演。リストの「ラ・カンパネラ」を完璧なテクニックで見事に演奏し、地元聴衆を熱狂させる。

14歳 東京にてリサイタルを開催、古典から、ロマン、近現代と幅広いレパートリーで、「スクリャビン エチュード Op.42-5」、ピアノ伴奏による「リスト ピアノ協奏曲第1番」などの難曲を確実なテクニックと柔軟な音楽性で表現し、大成功を収めた。

この年、世界的ショパンピアニストのハリーナ・チェルニー・ステファンスカ氏に弟子として認められ、同氏が定期的に来日の際、本格的なショパンのレッスンを受けるようになる。ステファンスカが'01年に亡くなる数ヶ月前までその指導は続いた。

15歳 前年のリサイタルの成果が認められ、「練馬新区庁舎落成記念祝賀式典」にて「オールショパンプログラム」のリサイタルに出演。各界の聴衆に絶大なる賞賛を受け、練馬区教育委員会、東京都教育委員会より表彰される。

16歳 ローランド・バータ指揮、ポーランド国立クラクフ室内管弦楽団と「ショパン ピアノ協奏曲第1番」を東京虎ノ門ホールにて共演。完成された演奏は、ショパン音楽評論家からも絶賛され、その後この曲はさまざまな楽団と10数回共演することとなる。

18歳 ドイツで演奏の機会が与えられるオーディションに合格。ドイツ国内9都市でコンサートに出演し、全公演大成功を収めた。

19歳 「第14回ショパン国際ピアノコンクール」に参加。コンクール速報新聞に写真入りで報道され「才能あるピアニスト。名演奏だった。彼女は多くのものを我々に提供してくれるだろう」とその演奏を高く評価され、「ノクターンOp.62-2」はコンクールライヴCDにリリースされた。

20歳 前年のショパンコンクールがきっかけで、世界的ピアニスト ケヴィン・ケナー氏に認められ、ロンドンに留学。

国内はもとより、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スイス、ポーランド、ハンガリー、スペイン、チェコ、オランダ、アラブ首長国連邦にてソロ演奏会及び協奏曲の演奏会に出演。

ポーランド国立放送交響楽団、同国立ポメラニアン交響楽団、同国立クラクフ室内管弦楽団、チェコのヤナーチェク・フィルハーモニー管弦楽団等、オーケストラとの共演も数多く、その多彩な極めて美しい音色の、感性溢れる演奏は聴衆を魅了して止まない。

'05年12月と'06年5月に開催されたイタリアの国際コンクールでは、審査員をはじめ現地の聴衆やマスコミ関係者から注目を浴び「アンダマリス国際ピアノコンクール」審査委員長の国際的ピアニスト、マリア・ティーポ氏より「完成されたピアニスト。特に音色の豊かさ、絶妙なニュアンス、フレーズ感には目を見張るものがある。」と絶大なる賞賛を得る。2つの授賞式と演奏会の模様は地元テレビで放映され大好評を博した。

「イタリア文化庁主催パウシリポン国際ピアノコンクール」の上位入賞がきっかけで、'06年8月にチェコで開催される夏の国際音楽祭に招聘されリサイタルに出演予定。

'99年東京音楽大学付属高等学校ピアノ演奏家コースを首席卒業後、東京音楽大学ピアノ演奏家コース特待生入学。

'01年 9月より (財)ヤマハ音楽振興会留学生奨学金を受け、英国王立音楽大学に留学。東京とロンドンの往復で2つの大学に在籍し単位を取得。

'03年 3月 東京音楽大学ピアノ演奏家コースを首席で卒業。読売新人演奏会に出演。同年7月 英国王立音楽大学大学院を首席で卒業。9月より(財)明治安田生命クオリティオブライフ文化財団海外音楽研修生奨学金を受ける。

'04年 同大学院「アーティストディプロマコース」、'05年「特別コース」をそれぞれ最優秀で卒業。大学より「ジョンホプキンソン特別メダル」を授与される。

これまでに、田澤恵巳子、杉谷昭子、ハリーナ・チェルニー・ステファンスカ、吉川元子、下田幸二、高橋多佳子、野島稔、菊地麗子、ケヴィン・ケナーの各氏に師事。

現在、東京音楽大学非常勤講師。

→コンクール歴